「人間魚雷」の隊員残した最後の手紙「元気ですか?妹と一緒に夢に出てきた」

当時家族に宛てた手紙

太一さんは特攻兵器「回天」の搭乗員でした。魚雷に乗り込んで操縦し敵艦に体当たりする、いわゆる「人間魚雷」です。出撃すれば、生還は望めません。残されていた手紙には、家族を思う気持ちが綴られていました。

(*手紙より抜粋)
「おばあさんは元気ですか 昨夜ふみちゃん(妹)と一緒に夢に出ましたので」「お昼はご飯のかわりに善哉です。ふみちゃんにも食べさせてあげたかった」

入隊前は慶応義塾大学の学生だった太一さん。将来は国際貿易の仕事に就きたいと、勉強に励んでいたといいます。しかし、アメリカの艦船に突撃し、25歳で戦死しました。

当時の太一さんの気持ちに、正蔵さんは思いを馳せます。

(今西正蔵さん)「そら死にたくないでしょう、本当は死にたくないでしょ。生きたいですよ、やりたいこともいっぱいあるし、結婚もしたかったみたいなんですよね。学生の時から勉強してきた。仕事も、大活躍したかったんやと思うんですね」

当時は書かれなかった「特攻勇士」の素顔。こうした証言は戦時新聞と連動させて、 一般紙面で記事にして、背景を掘り下げます。