小学1年生の時に地元・山口の華浦スポーツ少年団に入団した立石。主にセンターと2番手投手を務め、6年時には県大会にも出場。肩が強くセンターゴロをアウトにしたこともあった。当時のコーチによると、食が細く乗り物酔いもする子だったが、バネのある走りと運動能力は高く、両親譲りの運動神経が感じられた、という。
野球にのめり込んだ立石は、私立の強豪で中高一貫校の高川学園(山口)に進学し、中学から硬式でプレー。高校では1年から起用され、2年の夏はコロナ禍で全国大会が中止になったが、山口県の独自大会で優勝。3年夏には甲子園に出場し、1回戦の小松大谷(石川)戦でバックスクリーンにホームランを放った。中高の6年間、父は駅まで毎日送迎し、母は朝4時から弁当を作り息子を応援した。
母・郁代さんは、バレーボール選手だった現役時代の話をほとんどしなかったが、立石は自身の野球のレベルが上がっていくにつれて、母親の凄さが分かってきたという。「お母さんがバレーの極みを求め続けてやってきた人なので、負けたくないじゃないですけど、自分も野球でやり続けた姿を見せたいっていうのはありますね」。

ひとり異なる道へと進んだが、日本代表の試合はハイライトでチェックするほど、バレーボール好きであることに変わりはない。今年7月には、バレーボールの世界三大大会のひとつ、ネーションズリーグ男子の日本対アメリカの試合を生観戦した。
「やっぱり石川(祐希)選手カッコいいですね」。大観衆の中、必死にプレーする石川祐希(29)や髙橋藍(24)の姿に刺激を受け、「大人数の中でプレーするのは幸せですし、自分もプロ野球選手になれれば、毎日いろんなファンの方が来てくれる中でプレーできるので、そういう環境でやりたいなっていう気持ちは一層増しました」。