81年前、1944年の10月10日、無数の米軍機が南西諸島を突如襲いました。いわゆる「10・10空襲」です。那覇市街地など、民間地も壊滅的な被害を受けた無差別攻撃として知られていますが、真っ先に標的となったのは、建設中だった日本軍の飛行場でした。知人を空襲で失った比嘉弘政さん(89)の証言から、空襲で初めての標的となった読谷村の記憶を辿ります。
沖縄戦の始まりともいわれる10・10空襲

10・10空襲で米軍の攻撃は5回にわたり、日本軍の軍事拠点や民間地を無差別に襲い、多くの被害をもたらしました。比嘉弘政さん(89)は、読谷村で米軍機の攻撃を目撃した当時、8歳でした。
比嘉弘政さん(89)
「向こうは海ですから、向こうから、だいたい3機とか5機の編隊で。まあ、多くて20機くらいだったんでしょうね、戦闘機が飛んできた」