◆信仰心にあふれていた成迫 巣鴨を出たら

成迫忠邦のふるさと(大分県佐伯市木立)

成迫は、7歳のころには般若心経を読経し、母が仏前にいけば自然と一緒に手をあわせるという少年時代を過ごした。スガモプリズンでも信仰に没頭していた。法華経の信者で、死刑囚たちに慕われていた東海軍の司令官、岡田資(たすく)中将の部屋も訪ねていたようだ。

<成迫さんの思い出 吉原剛 「七人を偲びて」1951年>
「自分がここに入るまでは家にいて村の青年団の為に働いたが、今度巣鴨を出たら村にかえって、青年達のために文化的機関をつくって農村の文化を向上させたい、そしてそれには仏教の分野からやるのだ、だからうんと仏教を勉強して、今時の若い人達から敬遠されている仏教の本当の姿を説いて、村の集会でも結婚式でもすべてお寺でやる様にしたい、それが俺の念願だ」と左様に語ってくれた君。

だから私と一緒の房にいる時は、それこそ真剣に布団をきれいに折りたたみ、毛布で覆ったのを机代わりにして、仏書を読むのに余念がなかった。夜は又、岡田資先生のところでお説教を拝聴され、その度ごとに、ますます法華経に精魂をうちこまれ、朝な夕なに唱題されました。私が減刑されて五棟を去る前頃は、すでに単なる教理の習得を越えて信仰心にあふれていて、ともすれば沈みがちな私をはげましてくれました。

◆温かい人間性にあふれた君

石垣島事件の法廷 右から3人目が吉原剛(米国立公文書館所蔵)

<成迫さんの思い出 吉原剛 「七人を偲びて」1951年>
温かい人間性にあふれた君からは、色々と直言をいただきましたが、その中でも「吉原さん、あんたはあんまり内気すぎるよ、人の話はよく聞くが、友達や親友に対して滅多に自分の腹を割らない。それじゃだめだ。自分の考えはどんどん述べて、もっと快活になろうじゃないか」。その言葉は今も私の胸に響いて来ます。人と交際して心からうちとけることも笑うことも知らない、憂うつな孤独を楽しんだ自分は、君の純情に酬いることもなく、永遠に別れて失った今、せめて今後なりとも、君の傾情に報いたいと固く決心している次第です。

それにつけても、君は陽気によく笑った。そして気品の高い幾分青い顔が思いだされます。正義感にあふれ、全く表裏のない、本心をそのまま流露する君は素直な人でした。又君は負けず嫌いでしたね。お互いに仏教の事を話して争論する時は、いつも自己の主張をまげなかった。読書で疲れた時でさえ、碁を打つと勝つまで戦いました。館山海軍砲術学校を修了する時には成績優秀で、普通の人は兵長から二等兵曹になりましたが、君はそれを飛び越えて一等兵曹になりました。それも意志の強い現れであったと思います。