「営業は天職」イケイケで「嫌な社員」だった30代

―――最初の配属先は大阪。初の関西で、しかも大阪でしたが大丈夫でしたか?
 必死でしたね。当時、寝言でも挨拶していましたから。家内が「あなた寝言を言っていたわよ」というんです。「なにを?」と聞いたら「おはようございます」とか「ありがとうございます」と寝言を言っていたと。当時は必死だったんでしょうね。

―――30代は結構イケイケで、ちょっと嫌な社員だったという話もありますが?
 自分で思い出しても恥ずかしいくらいです。本当に「アホ」でしたね、大阪でいう。36歳まで13年ちょっと大阪支店で勤務したんですが、期間が長くなると人間ってどうしても天狗になるんですよね。慣れきっちゃうというか。当時、全国の中でも大阪は販売のウエイトも高いですし、そこで成績を伸ばすと「自分が会社を背負っている」みたいな感じになって。もうね、恥ずかしいばかりです。

―――それが改まったのは何かきっかけがあったのですか?
 いよいよ転勤となった時ですね。36歳で本社にある広域営業部、全国チェーンの会社を担当する部署に異動しました。でも同僚はみんな構えるわけですよ、噂に聞いていますからね。「アイツって…」という感じで。周囲から煙たがられている感じだと自分でも気づいて…。そこまで態度や振る舞いが悪かったんでしょうね。

「30代を恥じた」支店長時代 組織で動く大切さを思い知る

―――その後、支店長になりますよね?
 40歳前で茨城県の水戸支店長の辞令が出ました。まさにそこにいた2年間で組織のことを色々勉強したんですね。支店には25、6人いて家族みたいなもんですね。茨城県で一生懸命営業しているわけですけど、それを束ねていた時に支店のメンバーには色々な個性があって、自分は責任者ですからやっぱりその人たちの良いところを伸ばしていきたいと。そうやって毎日やっていると、さっきの漫画のキャプテンではないけれど、達成感とか1人1人の大事さとか、業績が上がるのも支店長の自分がやっているのではなくてみんながやって上がっているんだな、というのに気がつきましたね。

―――支店長になって大きな気づきがあったと?
 自らを振り返って大阪での30歳の頃やその後の本社広域営業部でやってきたことを思い返すと「自分はなにをやっていたんだ」と。ひとりよがりだったと。だからちょうど40歳くらいが会社員人生の転機だったと思います。いやぁ本当に気づきましたね、良かったと思います。大きな転機でした。