訴訟の開始
キノホルムが原因と判明し、長年原因不明の奇病や伝染病とされてきた患者たちの間には怒りが広がりました。
キノホルムを製造販売していた製薬会社3社(日本チバガイギー・武田薬品工業・田辺製薬)と、その使用を許可・承認した国の責任が問われ、1971年(昭和46年)以降、損害賠償請求訴訟が起こされました。
1972年(昭和47年)のTBSアーカイブには、東京地裁原告団結成式の映像が残されていました。
スモン訴訟は全国で相次ぎ、その後も和解確認書調印までに製薬会社と国に対して、全国27の地裁で約4800人が提訴という広がりをみせていきます。
裁判所の判決は
当初製薬会社3社は感染症としての「ウイルス説」を主張し、薬害の事実を否定しようとしました。
しかし裁判所は、キノホルムが原因であると断定し、国と製薬会社の責任を認める判決が次々と出されました。














