いよいよ本番当日
9月27日、いよいよ本番当日を迎えました。宮城県岩沼市の千年希望の丘には、180人以上の人が。東京や兵庫から企業の研修でやってきました。しかもこの日、受験生の大遥さんはテストのため急きょ来られなくなりました。心彩さん、一人で大丈夫でしょうか?

鈴木心彩さん:
「やはり200人を前にすると圧倒されますね…」
千年希望の丘のうち1号丘と呼ばれる場所へ。被災した集落を示す6つのガラスが埋め込まれた丘です。

鈴木心彩さん:
「鈴木心彩です。よろしくお願いいたします」
「これは被災前の6地区の位置を表しています、北から相野釜、藤曽根、二野倉、長谷釜、蒲崎、新浜の順に並んでいます。中央にガラス玉が6つ集まっていますが、これは被災した6地区が3キロ内陸に集団移転し玉浦西地区という新しい町が誕生したことを表しています」

鈴木心彩さん:
「北はどちらかわかりますか。Sが南になります。こっちから津波がきたと想像する人が多いですが、実際に津波が来たのははこちらからとなります」

続いて案内したのは、仙台空港を望む2号丘です。
鈴木心彩さん:
「ターミナルビルに津波が到着した時間は午後4時頃。名取市と岩沼市の指定避難場所に指定されており、地域住民250人が避難しました。1階はほぼ浸水し、関連施設職員含め最大で1600人が2階と3階に避難し、第一次避難所として5泊6日を過ごすことになりました。現地調査報告により、津波の痕跡、高さ5.7m、浸水3.7mとされています。幸いにも津波がきた時間帯は飛行機が飛び立った後だったため、乗客への被害はありませんでした」

鈴木心彩さん:
「津波の犠牲になってしまった要因としては、津波警報から時間が経ち避難所から戻ってきた人が犠牲になりました。2010年に発生したチリ沖地震で津波がこなかったため今回(東日本大震災)も逃げなかった人が多かったことも要因になっています」

初めての語り部活動。無事に役目を務めることができました。
語り部を聞いた人:
「すごくしっかり話していて感動しました」
鈴木心彩さん:
「すごく緊張しました。先輩にも助けてもらって偉大さを感じました。命は自分のなかにひとつ。周りの人もいのちはひとつ。いろいろな人に伝えていきたい」
心彩さんたちが所属する「いわぬま震災語り部の会」は現在7人で活動していて平均年齢は46.5歳、もちろん心彩さんたちは最年少です。今回テストのため参加できなかった兄の大遥さんも11月には、語り部を披露する予定だということです。