前日から危険なアラート、ところが
じつは事故の前日から建物には明らかな異常が表れていたといいます。
天井にひびが入り、床が沈み、柱のひずみも確認されていました。当日も5階で亀裂が拡大し、建築士からは営業中止の勧告がありました。

しかし経営陣は営業を優先し、避難措置を取ることなく営業を続けました。その結果、夕刻に柱が破断し、わずか20秒で建物全体が崩壊しました。館内にはおよそ1500人が居合わせていたとされ、多くの犠牲者が一瞬で瓦礫の下敷きとなりました。

そもそもの設計変更に賄賂
三豊百貨店は1989年12月に開業しました。事故当時、築6年、まだ新しいといってもいいデパートだったのです。A棟とB棟、それをつなぐコンコースで構成され、開店当初は高級百貨店として人気を集めました。

しかしその裏では、設計変更や施工の不備が積み重なっていました。当初は雑居ビルとして計画されていた建物を、途中で百貨店に用途変更したのです。
その際、レストランにする、大きな売り場を作る、などの変更が行われましたが、それに必要な審査や補強工事などは一切行われませんでした。