12日朝の南日本新聞を見ると、1面に「第3万号」と書かれています。これは新聞の発行回数を示す「紙齢」と呼ばれ、節目の3万号となりました。紙の新聞からネットへとデジタル化も進む中、新聞が家庭に届くまで、節目の1日を取材しました。

きょう12日、3万号の節目を迎えた南日本新聞。前身は、太平洋戦時中の1942年2月11日創刊の「鹿児島日報」です。終戦翌年の1946年2月、「南日本新聞」に名前を変え、今に至ります。

(平川順一朗編集局長)「今年は戦後80年の区切り。紙齢1号が昭和17年の戦争真っただ中に創刊された背景を特集面で振り返る」

鹿児島市の本社編集局です。およそ100人の記者が取材しています。

(新人記者 河端美緒さん)「周りの先輩がアドバイスをくれるので何とかできている。鹿児島の歴史を築く1ページになっている意識を持って今後も頑張っていきたい」

一方で、南日本新聞の発行部数はピークだった1990年代の40万部から減少し、今はおよそ22万部となっています。こうした中、記事のネット配信にも力を入れています。

(デジタル編集部 菅雄祐さん)「新聞だと文字ばかりで読みにくいと思う人でも『意外と新聞社のニュースおもしろいじゃん』と思ってもらえるような見出しを出せたら」

11日夜11時。3万号の新聞の印刷が始まりました。「輪転機」と呼ばれる機械が、毎分1000部の速さで刷っていきます。

印刷された22万部は県内およそ130か所の販売店へ。

午前2時。配達員の手で一部一部、読者のもとへ届けられます。

(平川順一朗編集局長)「鹿児島、南九州、郷土のためにという思いを忘れず続けていきたい。読者のため、鹿児島のために」

戦時中から戦後の復興、そして迎えた令和の新たな時代。新聞はこれからもふるさとの出来事を伝え続けます。