その使命は「生まれる前から」

富士齋さんは13歳で「藤間」の名を許され、師範となりました。

――日本舞踊に携わって80年以上、ということですよね?
藤間富士齋さん「もっとでしょ?生まれる前からだもの、うふふ」

日本舞踊の伝統を継承していく使命を抱きながら生きてきた人生。

母で師匠の初代「藤間勘太女」は、熊本における日本舞踊の草分け的存在です。

その母を亡くし、“一門の顔”になった当時の映像が残っています。