高知競馬でデビューし113連敗を記録するなど、「負け組の星」と言われた「ハルウララ」が9日、死んだことがわかりました。29歳と人間で言えば90歳ほどの「おばあちゃん」でした。
1998年11月に高知競馬でデビューした「ハルウララ」。未勝利が続きましたが、連敗が積み上がるにつれ「負けてもひたむきに走り続ける馬」「負け組の星」として、全国的に注目されるようになりました。特に盛り上がりを見せたのは武豊騎手が騎乗した時のこと。


会場は人数制限をかけるほどのにぎわいとなり、当時赤字で苦しんでいた高知競馬の経営にも明かりをともしました。

そんなハルウララですが、9日午前2時半ごろ、引退後過ごしていた千葉県の牧場「マーサファーム」でせん痛が原因で死んだということです。29歳でした。突然の別れに県民は。

「それ(負け続けた)が珍しいから人気があったのでちょっと悲しいです。次生まれ変わってまた負けてもいいから次の子を見たい」
「マーサファーム」の宮原優子代表は「ファンの皆さまに支えられて大往生できました。今もわがまま放題で空を駆け回っていると思います」とコメントしています。

また、ハルウララブームの時に高知競馬で広報をしていた県競馬組合の吉田昌史さんも別れを惜しみました。
(高知競馬で当時広報 吉田昌史さん)
「(ブームになってから)だいぶ経つが、本当に長生きしたなと。悲しい思いもあったし当時のこともちょっとよみがえってきた」

吉田さんは2004年ごろハルウララをモデルにした歌を作曲し、「ハルウララブーム」を盛り上げた人でもあります。

(高知競馬で当時広報 吉田昌史さん)
「宗石さん(調教師)が詩を寝床で書いていて、それを財布にずっと入れていたけど、なんか知らんけど偶然に曲が浮かんできて、神様がプレゼントしてくれた曲かもしれない。僕が自分で作りたいと思ったわけではないので本当に浮かんできた」
(吉田昌史さん)
「お疲れ様、安らかに休んでください」
負けても懸命に走り続け、大勢の人に勇気を与えてきたハルウララ。高知競馬によりますとお別れ会や献花台の設置などについては未定だということです。
