昭和100年にあたる2025年は『大阪・関西万博』開催の年。
新潟県内でもこれまでに、さまざまな“博覧会”の歴史がありました。

昭和28(1953)年に開かれた『新潟博覧会』。
3億円の経費をかけ、およそ2か月にわたって開催されました。

【当時のナレーション】
「観光新潟を広く紹介する観光館…」

「躍進新潟を余すことなく伝える農林水産館は満員の盛況です」

北海道や東京の特設館も並び、新潟の観光やのみならず、農林水産業や文化についてもPRしました。

昭和58(1983)年には、上越新幹線の開通を記念した『'83新潟博覧会』が開かれました。

15のパビリオンが軒を連ね、2カ月で108万人が訪れた会場には、新幹線以外にもさまざまな先端技術を紹介。

“テレフォンカード”で通話ができる公衆電話もその1つです。

機械で人間の音声を作り出す音声合成装置も“当時の”最先端技術でした。
昭和100年の今、人工音声は歌も歌いますね。

迷子も多かったそうです。
「多い日なんかは、1時間に14~15人のときもありました」

平成元(1989)年には新潟市で、食と緑の博覧会『ナイスふ~ど新潟』が開催。

新潟の食文化を発信したほか、観覧車やジェットコースターも登場しました。

『ナイスふ~ど新潟』の跡地は会期後、遊園地の部分が残りレジャーランドに。『とやのレイクランド』として市民に親しまれました。















