判決は

「5月11日の判決当日を迎えます。この時、万が一敗訴したら、もしかしたら自殺する方が出るんじゃないかっていう。そういう不安感はかなりありまして、全ての療養所に弁護団が入るということになりました。

私は、その前日から入るという形で、邑久光明園に泊まらせていただいて、判決を迎えると、みんなでテレビ見ながら迎えるという形になります。もちろん、現地(熊本地裁)に行ってる人も結構多くいます」

「判決が出る時間になって、どういう一報が出るんだろうと思ってテレビをずっと見ていたんですね。そうしたら、あの時、どこの記者だったか忘れましたけども、だーっと走って出てきて、興奮して『国の請求が認められました。国の請求が認められました』と。

国は請求してないし、本人は興奮しているし、何なんだろうね?と思いながら、みんなきょとんとしていたんですね。

しばらくすると、勝訴の垂れ幕を持って2人の弁護士が出てきました。そこで、拍手して喜んで泣きました」

「勝訴」

「勝訴だったんですけども、収容されていた年数とか時期、期間によってちょっと段階が分かれた形の判決だったんです。

金額が違う状況で、これを、そのまま確定させる運動をするのか、控訴してもう1回争うのかっていうのを大分議論したんですけども、何はともあれ確定させるべきだということで、控訴を断念させようという運動がそこから始まります」