シリーズ「戦後80年つなぐ 宮崎の記憶」。
今回は、戦時中、同級生を空襲で失った画家に注目します。91歳の今も、平和を願い、描き続けています。
作品に込めた思いを取材しました。
終戦を迎えて初めて当時の異常な空気や命の重さについて考えた
(画家 石井秀隣さん)
「こんなにきれいな青空に飛行機を飛ばしたらいかんですよ」

高鍋町の画家、石井秀隣さん、91歳。
1945年、小学6年生の時に同級生を空襲で亡くしました。
(画家 石井秀隣さん)
「同級生は駅のもうちょっと向こうだったんです。家やら防空壕は…」

戦時中、高鍋町の蚊口浦には無水アルコール工場があったため、アメリカ軍による攻撃が相次ぎました。
高鍋駅のそばには、今も当時の機銃攻撃の跡が残されています。

(画家 石井秀隣さん)
「この蚊口浦地区は、爆撃が激しかったんですよ。駅舎を多分狙ったんだろうと思います」

空襲で同級生を失っても、当時、子どもだった石井さんには、戦争への恐怖心はなく、終戦を迎えて初めて当時の異常な空気や命の重さについて考えました。
(画家 石井秀隣さん)
「負けるとは思わなかった。絶対勝つと思っていたので、怖いという感じはあんまりなかったです」















