地下壕を進むとコンクリート製のトンネルが
ライトで照らしながら進むと…。
(大石)
「今までは洞窟かと思っていたが、人が掘ったトンネルだったんだと分かりますね」
50メートルほど進んだあたりに突如現れたのは、コンクリート製のトンネル。
(山田さん)
「陸軍の19502部隊が掘った。当時は(終戦間際で)コンクリートもなくて、陸軍の施設であってもコンクリートを使えない。ここは基本的に全部素掘りです。ここと、もう1か所だけコンクリートが十数メートル打ってある」

さらに、こんなものも…
(山田さん)
「枕木です。さっきのトロッコが(壕の)外と言っていたけれど、きょう(壕の)中にも入っていたことが発見できた」
(大石)
「全部つながっているということ?」
(山田さん)
「新発見。穴を掘る時の土砂を搬出するためのトロッコを通していたことが分かった」

(大石)
「この壕はどんな目的で作られたんですか?」
(山田さん)
「そこが一番知りたいところですが正直言うと分からない。たぶん各務原飛行場との関係で(陸軍の)重要な部分が、ここに逃げると。民間人ではなく軍に関係している所が疎開工場としてここに逃げて、さらに戦うために急造したもの。みんなが逃げるための防空壕ではないんです。残念ながら」

国立公文書館に保管されている旧陸軍の記録には、終戦前の1945年4月、地下施設を作る専門の部隊が臨時で編成された事実が残されています。
各務原市の聞き取り調査では「19502」という番号の部隊が市内で地下壕を掘っていたことが分かっていて、陸軍の記録にもこの部隊名が記されています。
戦時中、陸軍の飛行場があった各務原市。山田さんは、その司令部や通信部隊が空襲から逃れるために地下壕が作られたと考えていますが、文献には一切残されていません。
