垂直尾翼の約6割を損失 123便墜落の原因とは
123便の墜落の原因は何だったのでしょうか。

異変が起きたあとの123便の機体を捉えた写真。このとき機体は、飛行バランスをとるために最も必要な部分、垂直尾翼の約6割が失われていました。
飛行中に機内の気圧を一定にするための「圧力隔壁」が壊れ、その衝撃で、垂直尾翼が破壊されたのです。
バランスが取れなくなった機体は、左右に傾きながら蛇行、そして墜落となったのです。

墜落の7年前、この機体はしりもち事故を起こしていました。
1978年に撮影された映像からは、機体の後ろ側が損傷し、黒く焦げているのがわかります。この時に「圧力隔壁」が損傷。修理は製造メーカーのボーイング社がおこないました。
しかし、墜落事故後の調査で、その修理が不適切だったことが判明。ボーイング社もそれを認めました。
なぜミスが起きたのか 修理ミスめぐる警察との“攻防”
なぜミスが起きたのか。

警察はボーイング社の「修理指示書」を問題視しました。ボーイングの修理チームの「技術部門」から「現場部門」に指示されたものですが、丁寧な書き方とは言えず、修理はこの通りにおこなわれませんでした。
警察などは訪米し、ボーイング社の修理担当者などから聴取を試みましたが実現せず、なぜミスが起きたかの解明には至りませんでした。
一方で、警察は日航側に対しても「ボーイング社の修理ミスを、日航が見逃した」との見立てで強制捜査に乗り出しました。
取り調べを受けたのが、日本航空の取締役で、事故調査の最高責任者だった松尾芳郎さん(当時54)。
松尾さんと親交があったジャーナリストの木村さんは…

ジャーナリスト 木村良一さん
「(松尾さんは)日航とボーイング社のパイプ役。しりもち事故(の修理)をボーイングに任せるべきだと進言したのは松尾さん。事故機に関して、日本で一番、世界で一番知っている」
木村さんは2020年に松尾さんから当時の記録を受け取りました。
ジャーナリスト 木村さん
「群馬県警の取り調べ内容と検察庁の事情聴取。これを“松尾ファイル”と呼んでいます」

そこには、修理ミスの責任をめぐる警察と日航の攻防が記されていました。
取調官(日航元取締役・松尾氏のメモより)
「警察をなめるな。俺の言うことがわからないのか」
「会社として責任はあるはずだ」
松尾芳郎さん(日航元取締役・松尾氏のメモより)
「ボーイングが修理ミスをした。それを日航が発見できなかった。しかしその発見の可能性は極めて小さかった」
松尾さんは「会社としての責任はあると思う」とした上で、日航が修理の現場に立ち会えていない以上、発見は難しかったと過失を否認しました。
現在94歳となった松尾さんは私たちの取材に対し、当時日航の高木社長にこう迫ったと振り返ります。
日航元取締役 松尾さん(94)
「『ボーイングを訴えるべき』と高木社長(当時)に進言したことがあったが、頷くだけで行動はされなかった」
松尾さんは、日航とボーイングの関係性がすべてが解明されない要因だったのではないかと話します。

日航元取締役 松尾さん(94)
「社内にあった『ボーイングは神様』の考えが社長にも染み込んでいたのかもしれない。あるいは当時の良好な日米関係、中曽根総理とレーガン大統領の関係を忖度されたのかもしれない」
ボーイング社は、修理ミスの理由を40年経った今も明らかにしていません。