松商学園野球部OB 宮坂真一さん:「戦争が始まっている最中でした。戦争が始まっていると言っても分からないかもしれませんが、あの頃は戦争中でも野球ができた時代でした」


「幻の甲子園」は、太平洋戦争中の1942年に開かれました。戦意高揚を目的に文部省などが主催。予選を勝ち抜いた16校が出場しました。主催者が異なるため公式記録に残らず、「幻の甲子園」と呼ばれます。


宮坂さんは試合中に放送で呼び出される観客がいたことを覚えています。

松商学園野球部OB 宮坂真一さん:「あの頃は召集される人もいて、観衆の中に一人くらいですね『誰々さん、赤紙が来ましたからお帰りください』と放送があって皆で拍手をして送っていました」


ユニフォームのアルファベットは敵国の文字とされ、大会では、漢字で「松本商業」と書かれたユニフォームで出場しました。

松商学園野球部OB 宮坂真一さん:「アメリカとやり合うようになった時期かな。日本が間違いなくアメリカとも戦争をするという。野球のことなど分からない人たちが国の方針で始めたことですね」