■未来をつくる子どもたちに、元気と明るさを…
理由は、戦後の混乱期を生きる子供たちへの深い愛情でした。
・北海道教育委員会 社会教育課 吉田昌幸課長補佐
「1951年なので戦後で子供向けの娯楽や子供の健全育成などを考えて作ったと推測される」

日本の主権が回復し、連合軍の占領が終わった1951年。
子どもたちは、戦争で受けた心の傷が未だ癒えず、娯楽も食糧も不足していました。
そんな子どもたちを元気づけようと「子供の盆踊りを作ろう」という声があがったのです。
依頼を受けた坪松さんは、心から喜んだといいます。
・坪松一郎氏の妻坪松シゲさん(1997年)
「道庁から依頼が来た時は、随分喜んでいました。ようやく子供に目を向けてくれたって。3~4日で歌詞を作った。できてから『これどう?』と見せてくれて、『あら、いいわね?。どこでも聞けるし、これいいわ』と言った」

戦争で家族を失った子どもも少なくなかった時代。未来をつくる子供たちに、元気と明るさを取り戻したい。
「子供盆おどり唄」には、坪松さんの平和への強い思いが込められていました。
・坪松一郎氏の妻坪松シゲさん(1997年)
「お父さん、元気でいたら、感無量かもしれませんね。こんな何十年も経っても、皆さんが歌ってくれるんだもの。お盆になると、『あー、またお父さんの季節がきたね』って言いながら聞いています。懐かしいなって」

こうして誕生した「子供盆おどり唄」は、道や教育委員会が開催した講習会を通じて、道内各地に広がっていきました。
その頃の様子を、太平洋戦争を経験した浦田久さんは、次のように振り返ります。
・太平洋戦争を経験 浦田久さん(96歳)
「怖い顔をしていた。職がどうなるのか?食べ物がどうなるのか?兵隊に取られた家もあるし、人心も荒んでいた。それが一度に枠がはじけた感じでどうやって喜んでいいかわからい様子」

先が見えない不安な時代。子供盆おどり唄は、傷ついた子どもたちの心と未来を明るく照らしました。
・太平洋戦争を経験 浦田久さん(96歳)
「始まった時、終わった時、途中でもいいから、平和な世界で、お父さん、お母さんがいて、おじいちゃん、おばあちゃんがいて、ご先祖様が中添して教えてくれたんだから、大人の人から教えて欲しい」
子どもたちが無邪気に盆踊りを楽しめるのは、平和の証。
この何気ない日常を、私たちは守り続けていかなければなりません。
■調査結果
「子供盆おどり唄は、戦後の子供たちを元気づけるために作られた」ということです。
・田村次郎さん
8月24日に江別市での盆踊りに『ハンバーガーボーイズ』が出演するんですけど、そのときにこの盆踊りが江別発祥なのは初めて知ったんですけど、平和への思いだとか戦争での悲惨さなどを伝えていくという歌だっていうことを分かっていなかったので、私の友達に広島出身の人が居て、8月には「みんなで平和祈りましょう」とか言ってくれるんですけど、北海道は、この盆踊りの曲聞いたら子供たちに平和への思いとかありがたさとか尊さとかを伝えていくという習慣をつけてもいいと思います。
・阿部夕子さん
子どもの育成のためということをはじめて知ったので、親である私たちが知らないということは、あまりよろしくない。私たちが知ってそれを子どもに伝えていくという継承していく必要が感じられました。「チャンコチャンコ」ではなく、「シャンコシャンコ」なんですね。
・世永聖奈キャスター
実は、どちらも正解とも言えます。坪松さんの作詞は「シャンコシャンコ」だったんですが、1995年に「チャンコチャンコ」と変更されたんです。
でも、やはり正しい歌詞は「シャンコシャンコ」なので、「チャンコチャンコ」は廃盤となり、今は正しい「シャンコシャンコ」に戻ったということです。
・堀啓知キャスター
大通公園で「子供盆踊り」が始まりますが、ぜひ子どもたちに平和の大切さを伝えていきたいものです。