小学校の教員になった青木さん

平和の大切さを伝えるため、その後、小学校の教員の道を歩み始めた青木さん。赴任した小学校には、かつて空襲でけが人が運び込まれていた教室がありました。

青木道雄さん(94)
「床にはまだ人体の油と血の跡が、戦争が終わって15年たってましたけど、まだ残ってましたね。教室はその時の苦しんだ人たちが、生きたままでうめいて地獄の苦しみを味わっている人たちの跡ですから」
絵には”地面ににじむ赤い血”も

およそ2か月かけて描き続けてきた2枚の絵。
最後に筆を入れるのは、地面ににじむ赤い血です。

青木道雄さん(94)
「絵として理解していただたくために、記録として残すためには、見た通りの血を描いておかなければ仕上げになりません」