太平洋戦争末期、香川県高松市沖で旅客船が米軍機の攻撃を受け多くの死傷者を出した「女神丸事件」から、きょう(8日)で80年です。叔母を亡くした女性が、小豆島で犠牲者を追悼しました。

海難事故で亡くなった人を供養する香川県土庄町の慰霊碑を訪れたのは、新城周子さん【画像①】、87歳です。

【画像①】

(新城周子さん)
「到着する10分ほど前に機銃掃射を受けて亡くなってね、みなさん」

1945年8月8日の朝、百数十人を乗せ小豆島から高松港へ向かった旅客船、女神丸。高松までもう少しのところで、突如現れたアメリカの戦闘機の機銃掃射を浴び、島の住民ら28人が犠牲になりました。事件の記録はほとんど残されておらず、新城さんは生存者の証言を集め本【画像②】にまとめました。

【画像②】

<書籍:女神丸事件より>
「うめき、のたうち、喚く声が、血の海と化した甲板にこの世とは思えない凄惨な姿をさらしています」

乗り合わせた新城さんの父親で陸軍中尉の伴一(ばん・はじめ)さん【画像③】は、指示を出し続け船を前に進めました。その妹で新城さんの叔母にあたる伴時枝(ばん・ときえ)さん【画像④】は頭と胸に弾を受け、26歳で命を落としました。

【画像③】
【画像④】

(新城周子さん)
「何十万人死んでも、28人死んでも人の命には変わりないですからな、尊い命がね」

新城さんは高松の方角に向かい、花を手向けて28人の犠牲者を悼みました。

【画像⑤】

(新城周子さん)
「そういう犠牲者の碑(いしぶみ)があってこそ、今のこの平和な世の中があるんで、私たちはその人たちに感謝せんといかんし、とにかく風化しないように、この平和を、戦争のないこの平和が続けばいいなと私はいつもそれを思っております」