当時の記録が少ない島での空襲の記憶を次の世代に残そうと、里さんは、会長になった3年前から体験者への聞き取りを続けています。

この日訪ねたのは、赤木名集落の登山昭和さん(96)。当時は16歳でした。
(登山昭和さん)「パイロットが見えた。(飛行機が)目の前を通っていった。機銃掃射、赤木名方面に来たとき、ものすごい音がした。爆弾を落とす音が」
爆弾で崩れた防空壕から亡くなった人たちの収容作業を手伝いました。
(登山昭和さん)「土をのけて、死体を出すので(収容に)3~4日かかった。首だけある人。手が出てきた人。もう見られなかった」
あの空襲から80年。登山さんは当時を思い出すのがつらく、戦争の記憶を周囲に語ることはありませんでした。ただ、空襲の記憶を引き継ごうという里さんの思いを知り、近くの小学生たちに語ることにしました。

(登山昭和さん)「里さんが来たから、こういう会話になったが、他の人が来たら話しません」