昭和100年にあたる今年、シリーズでお伝えしている「昭和からのメッセージ」です。80年前の8月6日は広島に原爆が投下された日ですが、奄美大島では防空壕がアメリカ軍の攻撃を受け、40人が亡くなりました。戦争の記憶を語り継ぐ男性の思いです。

(里斉亮さん)「40人への参拝をしたいと思います。よろしくお願いします」
奄美市笠利町の赤木名集落で8月6日に開かれた慰霊祭。遺族9人が参列し、ひっそりと執り行われました。
赤木名では昭和20年(1945年)8月6日、防空壕にアメリカ軍の爆弾が落とされ、中にいた40人が死亡しました。

戦後30年経った昭和50年(1975年)に建立された慰霊碑です。亡くなった1歳から74歳までの40人の名前と年齢が刻まれています。

赤木名集落に暮らす里斉亮さん(48)です。8月6日の爆撃で、母方の親戚にあたる寺尾ミチさんが亡くなりました。57歳でした。3年前に遺族らでつくる赤木名慰霊碑会の会長を引き継ぎました。
(里斉亮さん)「(親戚のことは)全然分からない。(会長が)自分で良かったらと思って」
毎年8月6日に慰霊祭を開いていますが、遺族の高齢化などで継続の難しさを感じています。
(里斉亮さん)「(参列者は)毎年10人いないぐらい。だんだん孫の世代になってきたら、やっぱりなかなか」