広島はきょう8月6日、80回目の「原爆の日」を迎えました。鹿児島県内の被爆者は風化を懸念し、次の世代を担う若者に語り継ぐ重要性を訴えます。

広島では1945年8月6日にアメリカ軍が投下した原爆で、およそ14万人が亡くなったと推計されています。

鹿児島市は平和都市宣言から35年の節目となり、広島市での平和記念式典に、吉野など市内10の中学校から生徒10人が参列しました。

鹿児島市役所では6日朝、原爆が投下された午前8時15分にあわせてサイレンを鳴らし、職員が黙とうを捧げました。

(鹿児島市役所職員・作田皓亮さん)「実際に戦争を経験した人の体験談を聞く機会が少なくなっているのが現状、祖父や祖母から体験談を次の世代に語り継いで忘れないようにしたい」

生後4か月の時に長崎で被爆した、鹿児島県伊佐市に住む西上床キヨ子さん(80)です。県原爆被爆者協議会の会長を務めています。きょう6日、姶良市の講演会で体験を語りました。

(生後4か月で被爆・西上床キヨ子さん)「街の中は地獄のような光景でした。ぼろ雑巾をぶら下げて、ぼろ雑巾だと思ったのは、焼けただれた皮膚が垂れ下がっていたのでした」

西上床さんが懸念するのは、風化です。

(西上床キヨ子さん)「きょう、おばちゃんが話したことは頭か心にちょっと置いておいてと。子どもたちには子どもたちなりの言葉で伝えていきたい」

原爆投下から80年。記憶を風化させないための地道な活動が続いています。