国連組織の中で、事務総長、副事務総長に次ぐポストである事務次長(注)に日本人女性として初めて就任した中満泉さん(日本人としては9人目)。軍縮担当上級代表という国連の軍縮部門のトップでもある。国際政治の場で日々、軍縮や平和の問題に向き合っている中満さんにオンライン・インタビューし、戦後80年にあたって日本の若い世代の人たちにどんなことを期待するか、メッセージを送ってもらった。

軍縮部門トップの重要任務は各国交渉の中での「橋渡し」

編集部 まず、2017年5月に就任された国連事務次長、軍縮部門のトップでもいらっしゃいますが、具体的にはどんなお仕事なのでしょうか。

中満 実は軍縮というのは、日本では恐らく核軍縮のことを思い浮かべる方が多いと思います。もちろんそれもすごく重要な、軍縮の中では一番優先順位の高い分野ですけれども、それ以外にもいろいろあるのです。

通常兵器、小型武器もあれば、そのほか、生物兵器、化学兵器、いわゆる大量破壊兵器と言われている分野、そして近年すごく多くなってきているのが、いわゆる新興技術、新興領域です。サイバー安全保障、宇宙の安全保障、あとはAIの兵器化をどのように制限していくか、そういった規範づくり。国連の加盟国が国連の場を通じてそういった規範をつくっていきますが、その規範づくりのサポートをするというのが基本的に私たちの役割です。

サポートというのはどういうことかというと、会議のサポートをするということよりも、むしろ政策的にどのようなオプションがあるのか、こういったアプローチで規範をつくっていくのがいいのではないか、そういったサブスタンスの中身をまとめて加盟国に提言し、働きかけていく。

特に近年、重要になってきているのが、国際情勢はすごく分断しているので、さまざま異なる立場をとる加盟国が非常に増えていますが、そういったさまざま異なる立場の中での共通の基盤はどこにあるのかを考えて、どういったアプローチをとっていけば政治的な交渉がうまくいくのかを考えて、それぞれの加盟国に働きかけていく。

もっと言うと、直接交渉できないような場合の橋渡し的な、「向こうはこういうことを言っているけれども、どうか」と、「こういったところに共通基盤があるのではないか」ということを取り持つような仕事をしているというイメージでいいと思います。

編集部 各国との交渉もかなり多いのですね。

中満 一応私は軍縮部門のトップなので、私が個人的に果たすべき役割の一番重要なところはその部分ですね。ですので、しょっちゅう加盟国に働きかける。ニューヨークでやることももちろんありますが、それ以外にも、重要な国を訪れて、さまざまな人たちと話し合いをする。当然、最初の一歩は彼らの見方、立場をしっかり理解することですが、働きかけていくということも非常に重要です。一言で言ってしまうと外交努力的な、橋渡し的な、そういったところが、私がやっている非常に重要な仕事と言っていいと思います。

高校生時代にマザー・テレサの映画を観て人生を考えた

編集部 さて、中満さんの若いころについて伺いたいと思います。中満さんは、早稲田大学法学部を卒業して、さらにジョージタウン大学の大学院を修了され、その後、まず国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のスタッフになられましたが、高校生のときに既に国連職員を目指されていたと伺いました。どんなきっかけだったのでしょうか。

中満 高校生のときはぼんやりと、そういうふうになればいいなということで、具体的に目指そうと考えていたわけではありません。私は高校はフェリス女学院という横浜にある私立の学校だったのですが、そこでマザー・テレサの働きをまとめたようなドキュメンタリーの映画を観て、人のために役に立つ仕事をする、「世のため人のため」という言葉が日本にはありますが、一度しかない人生だから、自分のことだけでなく、そういう人生を送りたいなと思ったのがきっかけです。

それで、何ができるかなと考えて、国際的なところに非常に興味があったので、当時はある意味で憧れだったのです。そういったところで仕事をしてみたいな、海外で働きたいなと思ったのがきっかけです。

具体的なイメージになったのは、早稲田大学の交換留学で留学させてもらった後、アメリカ議会でインターンシップをした経験を経て、「努力すればできるんじゃないか」「一生懸命頑張ってできないことってないんじゃないか」「積極的にやっていこう」と、そこから具体的な目標になりました。

なので、高校時代は漠然と憧れ的なもので、「やればできるのではないか」と思ったのが大学生の留学を経てからです。

編集部 そのころから、今の軍縮というお仕事につながる平和とか不戦みたいなことに対する思いは徐々に生まれていったのでしょうか。

中満 そもそも国連という組織そのものが、国連憲章の前文にありますが、大きな世界大戦を二度も経験して、こういった悲惨なことを将来の世代に経験させないためにつくられました。国連の創設の目的そのものがそこにありましたが、私がこれまでやってきた仕事は、紛争、戦争の、最初はUNHCRで人道ということで、まさに戦争の被害を受けた人たちに人道的な支援をする、保護をするという仕事でした。

平和維持活動(PKO)局時代の中満さん(右から2人目)、コンゴ民主共和国東部地域にて

その後はPKO(平和維持活動)、まさに平和のために現場でいろいろ交渉したりという仕事をしました。実は、UNDP(国連開発計画)にもいたので、開発協力もやっています。特に開発支援のツールを使って紛争から復興するために何ができるのかという仕事。そして、今はまさに軍縮です。

軍縮というのは軍備削減だけでなく、ツールボックスの中にはいろいろなものがあります。信頼醸成のための対話、リスク軽減、透明性の評価、自分たちの軍備に関する透明性を強化していくことによって相手方の不信や不安を取り除く、これは信頼醸成の一部ですが。そして、不拡散、軍備管理、最終的には軍備削減という、いろいろなツールがあります。

まさに戦争にならないように、それを防いでいく努力、そして万が一、紛争になったとしても、これは国際人道原則と言われるところですが、一般人、民間人は必ず保護されなければならない。そして不必要な損害・苦痛を与えるような非人道的な兵器はなくしていく、使用を禁止していく、そういった規範をつくっていくのが私たち軍縮分野の役割です。全て紛争を中心にしてという言い方はちょっとおかしいのかな、紛争にまつわるさまざまなことを、いろいろなツールを使ってやっていく仕事です。

日本もことし戦後80周年でいろいろなところで深く考える機会がありますが、戦争、紛争と人類社会の向き合い方は、ある意味、人類の歴史の中でも非常に大きな部分を占めています。そういう仕事をしてみたいなと思ったのは、国際法とか国際関係とか、そういうことを勉強したのが多分きっかけだったと思います。