富山市の市街地が焼き尽くされた富山大空襲から80年。焼い弾が降り注ぎ、燃え盛る火の中を家族と一緒に必死に生き延びた男性がいます。男性が体験したのは「音のない富山大空襲」でした。

富山市にある富山型デイサービス、「大きな手小さな手」。

利用者のほとんどが手話でコミュニケーションをとる静かなのににぎやかなデイサービスです。

ここで毎日穏やかな時間を過ごしているのが富山市の竹川秀夫(たけかわ・ひでお)さん・93歳です。

竹川秀夫さん:(手話で)
「みんなと一緒に紙飛行機を作ったりするのが楽しいです」

竹川さんは富山大空襲の体験者です。

当時父は出征していて、母親と姉、弟との4人暮らし。竹川さんと姉は生まれつき耳が不自由でした。

竹川さんは、幼い頃について「耳の聞こえない姉弟は変な声を出しよく笑われたり、馬鹿にされたりして外出することもなかなかできなかった」と手記に綴っています。

戦時中は、県立盲唖(もうあ)学校近くの城北町に住んでいて、バケツリレーで空襲の火を消す防空演習に参加していた写真が残っています。

ひとり木陰でたたずむ少年が竹川さんだといいます。

竹川秀夫さん:(手話で)
「家が燃えた時に火を消すためにバケツで水を運んでいた、くだらない」

竹川さんには、大空襲直前(1945年7月31日)に見た忘れられない光景があります。