聴覚障害者の富山大空襲を語り継ぐ
竹川さんは、この富山大空襲の悲惨さを後に続く世代に伝えたいと、戦時下の暮らしや空襲について詳細に調べた資料を作り、手話による富山大空襲の語り部として活動してきました。


長年竹川さんの講演活動などをサポートしてきたのは富山市の手話サークル「とわの会」の針山和雄(はりやま・かずお)さんです。

針山さんは、聴覚障害者の戦争体験を記録し、DVDなどにまとめてきました。
とわの会 針山和雄さん
「そういう証言を残していってみんなに伝えていくということが非常に大事だなということを聞こえない人たちの活動から学んで、私自身がもっとがんばらければならないなと感じた」

取材中、竹川さんがあるものを見せてくれました。
実家の焼け跡から見つかった焼い弾のかけらです。

竹川さんは、鉄の塊が雨のように降ってきた空襲の恐ろしさを伝える「証拠」としてこの焼い弾のかけらを大切に保管してきました。
竹川秀夫さん(手話で)
「空襲の時は大変な思いをした。海外ではいまだに戦争が起きているけど本当にダメです。ずっと平和であってほしいと思います」

B29の大群が大量の焼い弾で富山を焼き尽くしてから80年。
平和な日々が次の世代にも続きますようにー。
“音のない”富山大空襲を懸命に生き抜いた竹川さんは、命ある限り戦争の悲惨さと平和の尊さを伝え続けていきます。

【追記】手話通訳をしてくれたとわの会の針山さんは、竹川さん含め10人の聴覚障害のある人たちの戦争体験を記録しています。針山さんは、富山大空襲の常設展示施設ができることがあれば、障害のある人たちがどう戦時下を生きたか後世に伝えてほしいと話していました。