米盛さんの家でも不時着した特攻隊員を迎え、世話をしました。東京出身で、神風特別攻撃隊の江名武彦少尉です。

1945年5月。当時21歳だった江名さんは、2人の隊員とともに鹿屋市の旧海軍串良基地から出撃しました。しかし、エンジンの故障で、黒島北部の沖合いに不時着。

海で助けを求める3人を住民たちが引きあげ、全員無事でした。

(米盛レイ子さん・90)「自分たちのために犠牲になって若者が行く。絶対にしてはいけない」

江名さんは終戦直前まで3か月近く米盛さんの家に身を寄せ、農作業などを手伝いました。

若い男性が戦地に駆り出され、食糧難に陥っていた島で、心強い存在になっていったといいます。

しかし、その一方で…

(米盛レイ子さん・90)「『昨夜は泣く声がしたけど、おなかが痛かったの』と聞いたら『きのうは僕の誕生日だった。お米のごはんが回ってきたから泣いた』」

(土方蔵之介さん)「実際の場所を見ることができたので、戦争が本当にあったと実感した」