昭和100年にあたる今年、シリーズでお伝えしている「昭和からのメッセージ」です。
太平洋戦争末期、三島村の黒島では、若い隊員が乗せた特攻機が相次いで不時着しました。黒島で暮らす中学生が当時を知る人に聞いた、島と特攻のつながりです。

鹿児島市からフェリーでおよそ5時間。三島村の黒島です。周囲およそ20キロの自然豊かな島に、173人が暮らしています。
(記者)「今年で戦後80年。黒島でも戦争を知る人が少なくなる中、歴史をどのように語り継いでいくか課題となっています」
島の学校・三島大里学園の中学2年生、土方蔵之介さん。栃木県出身で、去年4月から山村留学制度を利用し、黒島で暮らしています。
(土方蔵之介さん)「親と離れて生活することをやってみたかった。地域行事もたくさんあるので、いろんな人と交流できる場所」

学校の授業で黒島の歴史に関心を持った土方さん。この日は戦争の体験談を聞きに、住民のもとをたずねました。米盛レイ子さん90歳です。
(米盛レイ子さん・90)「二度と思い出したくない」