「青森空襲」から80年…
平和記念式典には、西秀記 市長をはじめ遺族会の人たちが参列し、折り鶴を献上して戦没者を追悼しました。

1945年7月28日の夜、アメリカ軍のB29爆撃機による空襲で、青森市街は壊滅的な被害を受け1018人の尊い命が奪われました。

会場には当時、同じく空襲を受けた岩手県釜石市の中学生と、歴史を通じて交流する市内の中学生も訪れ、犠牲者に祈りを捧げました。

釜石市の中学生
「空襲は、人が悲しんだり亡くなったりするだけだから、やめたほうがいいと思った」
「戦争の記憶は、伝えていかないと薄れてきてしまって、だめになってしまうから、こういう式典を開くのはとてもいいことだと思う」
また、午後には「青森空襲を記録する会」による追悼集会が開かれ、空襲の体験者とともに犠牲者を悼み黙とうしました。

青森空襲を記録する会 今村修 会長
「知ることが一番。知らないと同じことを繰り返す。知るとあんなことやらないよとなる。写真で見たり、行事に参加したり、話を聞いていただければ。そういう活動がずっと続いていければ」

青森市は空襲のあった7月28日を条例で「青森平和の日」と定めていて、様々な追悼行事の参加者が平和への誓いを新たにしていました。