キングとしての振るまいと陸上界からも憧れ

2009年世界陸上ベルリン大会以降、ボルトは陸上界の頂点に君臨する「キング」となっていた。彼は他の選手たちがバスでサブトラックに来る中、一人、BMWで乗りつけていたという。小谷さんは「さすがVIPは違う」と感じたが、それでもボルトは周囲の人々への気配りを忘れなかった。ボランティアやファンからの問いかけにも常に笑顔で応じる姿は、彼が真の人気者であることを示していた。

特に、2011年テグ大会では、サブトラックの出入口だけでなく、中までファンやボランティアが押し寄せる状況だった。ボランティアが職務を忘れ、サインや写真を求めることもあったという。そんな中でも、ボルトは一人ひとりに非常に丁寧に接していたと小谷さんは語る。

「時代を共有する幸せ」

サブトラックには、解説者として訪れていた朝原宣治さんの姿もあった。彼はボルトの人気ぶりを見て、「僕らが彼と競技人生を、時代をともに過ごせていることは本当に幸せだ。こういうスーパースターがいる時代って陸上自体にも興味が集まるし、その時代を共有できているのは幸せだね」と漏らしたという。

小谷さんと朝原さん

あの時話しかけていれば…小谷さんが後悔するボルトとの別れ

ボルトの最後の出場は、2017年の世界陸上ロンドン大会だ。リレーでまさかの故障に見舞われ、残念な形で競技人生を終えることになる。その時も、サブトラックに最後に残ったのは小谷さんとボルトだけだったという。

小谷さんは、長年にわたり世界陸上のサブトラックに立ち、ミッスクゾーンのインタビューでも存在感を放っていたため、ボルトに認識されていたのは間違いない。小谷さん自身にも、ボルトの受け答えの様子から、自分を「知ってくれている」感覚があった。引退を表明し、荷物を持って去っていくボルトの背中に、小谷さんは無言で別れを告げた。

小谷実可子:
すごく叫びたかったし、話をしたかったんですけど、去って行く彼の背中に無言の「Good bye」って言いながら別れを告げました。その時に話しかけられなかったのを今でも後悔しています。

ボルトは去り際に何度も小谷さんの方を振り返った。そんな彼の気遣いが、小谷さんの目に焼き付いている。

ロンドン大会を取材する小谷さん

ウサイン・ボルト主な経歴

ウサイン・ボルト 1986年8月21日生まれ ジャマイカ出身
2005年 世界陸上ヘルシンキ 200m 8位
2007年 世界陸上大阪 200m、4×100m 銀
2008年 北京五輪 100m・200m 金、4×100m 失格
   ※100m、200mは世界記録
2009年 世界陸上ベルリン 100m・200m・4×100m 金
   ※100m、200mは世界記録
2011年 世界陸上テグ 100m失格、200m・4×100m 金
2012年 ロンドン五輪 100m・200m・4×100m 金
2013年 世界陸上モスクワ 100m・200m・4×100m 金
2015年 世界陸上北京 100m・200m・4×100m 金
2016年 リオデジャネイロ五輪 100m・200m・4×100m 金
2017年 世界陸上ロンドン 100m 銅、4×100m 途中棄権

■小谷実可子プロフィール
アーティスティックスイミング(旧シンクロナイズドスイミング)でソウル五輪に出場し、ソロ・デュエットともに銅メダルを獲得。夏季五輪で初の女性旗手も務める。引退後は東京2020招致アンバサダーなど五輪・教育関連で要職を歴任。10を超える役職と家庭を両立させながら56歳で競技に復帰。2023年世界マスターズ水泳選手権アーティスティックスイミングのチーム、ソロ、デュエットで金メダルを獲得。2025年8月世界マスターズ水泳選手権2025に出場予定。TBSテレビ「世界陸上」では1997年から13大会連続でサブトラックリポーターを務めた。