今年9月、34年ぶりに東京で世界陸上が開催される。決戦を前に選手たちが過ごすサブトラックでは、時に本戦以上のドラマが生まれる。1997年から13大会、サブトラックでのリポートを担当し、アスリートたちの様子を見つめ続けてきた小谷実可子さんが、陸上界のレジェンドたちにまつわる意外なエピソードや知られざる素顔を語った。
無情な失格と2人だけのサブトラック
2011年世界陸上テグ大会、男子100m決勝。“人類最速の男”ウサイン・ボルトにフライングでの失格が告げられた。
2008年5月に当時の100mの世界記録を更新(9秒72)、同年の北京五輪では100m、200m、4×100mで記録を塗り替えその名を知らしめると、2009年世界陸上ベルリン大会では100m9秒58、200m19秒19をマーク。いまだに破られていない驚異の記録を叩き出した。
そんな誰もが連覇を疑わなかった王者の、あまりにも無情な瞬間。メイン会場でその姿を見届けた小谷さんは、すぐにサブトラックへ戻った。「彼が来るかもしれない・・・」アスリートの勘がそう告げていた。すると誰もいないサブトラックにボルトが一人で戻って来た。チーム関係者の姿もない。
小谷実可子:
誰もいないサブトラックをただひたすら歩いていて、もう自分の気持ちをとにかく抑えたい、自分と戦っているのが背中からわかるので、あんまり見ちゃ悪いかなと思いながらもやっぱり見ておかなきゃと思って。
ただ歩き続けるボルトの、自身と戦う後ろ姿からは強い感情が伝わってきた。
当時、ボルトは「ただ勝つだけでなく、連覇もしたいし、結果を出すだけでなく、人々に語り継がれるレジェンドでいたい」と公言していた。その想いを知っていた小谷さんは、彼にメッセージを渡すことにした。
サブトラックでは取材者がグラウンドに立ち入ることは基本的にできず、トイレ前が唯一のチャンスだった。渡すタイミングをうかがっていると、偶然にもボルトがトイレへ。突然の鉢合わせに、ボルトは一瞬、小谷さんの目を見て「今は話しかけないでほしい」というように首を振った。その意図を察した小谷さんは、無言でメッセージを差し出した。ボルトはそれを受け取ったが、その後の反応は分からないままだ。渡したメッセージには、「You are a true legend(あなたは真の伝説だ)」に加えて、彼が陸上界にもたらした興奮や、そういったことへの感謝の気持ちが綴られていた。
やんちゃボーイからキングへ 大阪大会で感じた変化
小谷さんとボルトの出会いは2005年世界陸上ヘルシンキ大会の頃だった。当時のボルトの印象について小谷さんは次のように語る。
小谷実可子:
やんちゃでふざけてばかりいて。細くてすごくバネがあるんだけど、いたずらっ子というか「何しに来てるの?」っていうくらいふざけてばかりいた印象です。
しかし2007年世界陸上大阪大会を境にボルトのサブトラックでの様子に変化が見られる。それまで集中力を欠いていた彼が、真剣にルーティンをこなし、黙々とアップをする姿は小谷さんにとって非常に印象的だった。その変化が、翌2008年の北京オリンピックでの金メダルと世界記録更新、そしてその後の大躍進へと繋がったのではないかと小谷さんは振り返る。
