次々に出る被害者、しかし…

その後、捜査と裁判が進む中で、押収された40体の臓器のうち、実際に病変があったのはごく一部に過ぎなかったことが医学鑑定で明らかになりました。にもかかわらず摘出が行われていた事実から、病院ぐるみで「医療の名を借りた犯罪」が行われていた疑いがでてきました。

年に600件もの開腹手術が行われていたといいます。あとから「私もかも」と思った人の悲痛は筆舌に尽くしがたいものでした。

ところが、医療法違反については、理事長と院長に執行猶予付きの有罪判決が下された一方で、傷害罪については「証拠不十分」などの理由で不起訴となったのです。

医療現場での密室性などが取り沙汰されました。

損害賠償までの道

もちろん被害者たちはおさまりません。

浦和地検前、病院前などで連日のデモが行われました。

1981年、63名の元患者が14億円の損害賠償を求めて民事訴訟を起こしました。
そして、18年後の1999年に東京地裁は「医療に値しない乱診乱療」として、元理事長夫妻らに賠償を命じる判決を言い渡しました。

最高裁での確定は2004年。事件発覚からじつに24年後の判決でした。

この判決は最終的に2004年に最高裁で確定し、富士見産婦人科および、院長には、計5億1400万円の賠償が命じられました。20年以上経ってようやくの判決でした。

こんなものが医療と呼べるのか

一方、被害者たちは医師免許の取り消しを求めて行政に働きかけ、2005年、医師免許取消などの行政処分が行われました。

元理事長は本まで書いて「これはライバル医師の陰謀だ」などと冤罪を訴えました。

これは民事判決を根拠とした日本初の医師免許取消事例となりました。
事件発覚から四半世紀が過ぎた後の断罪でした。