ある日突然、原因不明の病におかされ、野球ができなくなってしまった高校球児がいます。彼を支えた存在は何だったのか…。1年以上に及ぶ闘病生活に密着しました。
「また明日来るね」翌朝には会話も難しい状態に…突然の闘病生活
2024年の夏、神奈川大会で14年ぶりのベスト4に輝いた「武相高校野球部」。応援席には入院している仲間のユニフォームがありました。

小又旭陽くん、18歳。病気の影響で、首から下を動かすことができません。

2人兄弟の長男として生まれた旭陽くん。9歳のときに始めた野球が大好きな少年でした。
父 昌平さん
「息子を褒めたこととか、そんなにないんですけれども、毎日遅くまで練習して頑張っているなという感じは受けていました」
高校でも野球を続け、甲子園出場を目指していました。

ところが2024年2月、高校2年生の冬のことでした。
父 昌平さん
「熱が出て、その後に下痢。少し時間が経つと、足に力が入らなくなってきた」
急遽、入院することになりました。
母 恵さん
「夜、その病院に入院するとき、病室に一緒に上がったんですよ。『じゃまた明日来るね』っていうので、(会話は)終わっていますね」

翌朝には人工呼吸器が付けられ、会話も難しい状態に。医師からは「重症型の急性散在性脳脊髄炎の疑いがある」と診断されました。

ウイルスに感染した後などに、脳や脊髄に炎症が起きる病気ですが、原因は特定できていないといいます。
父 昌平さん
「今の状態で治せる病院はないと思うんですけれども、今後、医療の発展に期待して、治してあげたいと思っています。一緒にやっていきたいと思います」

毎日のように病院に通う母・恵さんは、旭陽くんが眠るまで、そばで見守ります。
この日、旭陽くんが眠ったのは夜の11時でした。「おやすみ」と静かに声をかけ、病室を出ていく恵さん。

母 恵さん
「気になってしょうがない。家にいて『旭陽、今寝てるのかな』とか思うんだったら、ちゃんと寝られるのを見届けてあげたい」
「最初、病気になったときに、何か月かはちょっと辛かったですけど、明るく前向きに、自然に作らず行けたらなというのが私の中ではあって。それが旭陽にも少しでも伝えればいいかなって」
