「自決」「投降」父の判断は…
当時、13歳だった東江栄一さん(93)。壕では「自決」か「投降」か厳しい選択を迫られていました。

東江栄一さん(93)
「『アメリカに殺されるより自分らで死んだ方がいい』というような話をされて」
Q.あそこですか?
東江栄一さん(93)
「これはガジュマル壕」
80年前、東江さんはここに身を潜めていました。米軍に見つかり、住民1人が射殺されます。

東江栄一さん(93)
「パンパンって。どの弾で撃たれたかは分からない、そしたらここで倒れて。みんなが中から出てきたから、兵隊たちは逃げて行った」
その後、アメリカ兵が日本人の捕虜を連れて現れ、投降を呼びかけてきました。
Q.洞窟の中では色々な意見があった?
東江栄一さん(93)
「ここで死ぬか、死なないか」こういう話があった。
死を覚悟するなか、東江さんの父がある決断を下します。
「壕から一緒に出よう」

東江栄一さん(93)
「『一緒に行こう』という、親父のいうことは良かったと思ってる。うちの親父は一番年上だった、それでみんな連れて行った」
「ここは命を救ったガマ(洞窟)だから」
伊江島 80年後も基地の島

生き残った住民の多くは島の外の収容所に送られましたが、食糧難や栄養失調で亡くなる人もいました。そして、帰ることが許されたのは2年後。故郷は様変わりしていました。戦時中、日本軍の飛行場があった伊江島。戦後に建設されたのは米軍の基地でした。
それは今も…
小川彩佳キャスター
「島の面積の3分の1を占めるのがアメリカ軍基地です。フェンスがずっと連なっている。戦後80年、基地はとどまり続けています」

住民が戦闘参加 伊江島の戦い

小川彩佳キャスター:
島でも戦争を語ることができる方はもうわずかという中で、2人の方にお話を伺うことができました。ご家族も初めて聞くというお話もあったそうです。
伊江島では、住民の皆さんが戦争の準備から実際の戦闘にまで駆り出され、子供たちも飛行場の建設のために石を運ぶなどをしたそうなんです。「見つかれば殺される」と日本軍に脅されて極限の中、集団自決を選ぶという。これは命だけでなく、人間としての尊厳までもが根こそぎ奪われるような、非常に痛ましい史実だと思います。決して過去のことではないですよね。
24日も現代の戦争についてのニュースをお伝えしましたが、今も同じ苦しみの中で、悲しい思いをされ続けている方がいるということを忘れてはなりません。何度も「私達は2度と繰り返さない」と誓っているはずなのに、なぜ繰り返してしまうのか。その重い問いに向き合い続けなければならないと感じます。