戦後80年に戦争の記憶を未来にどう継承していくのか。この問題には熊本も例外なく直面しています。

かつて特攻隊の中継基地としても使われた熊本県菊池市の飛行場跡地です。
今も当時の建造物やアメリカ軍の機銃掃射の痕が生々しく残されています。地元の小学生に戦争遺跡の説明をするのは、保存会の勝又俊一(かつまた・しゅんいち)さんです。

菊池(花房)飛行場の戦争遺跡を未来に伝える会 勝又俊一事務局長「屋根に土があって木が生えて、どうするんだろう?」
児童「アメリカ軍から隠そうとしている」
勝又俊一さん「隠そうとしている。いいとこじゃないかな」
近くにある資料館でも模型や写真を使って、戦時中のことを丁寧に説明しました。
児童「写真で見たやつと現実でみたやつは迫力が違うなと思いました」
児童「弾を見せてもらったんですけどそれも重くて、だから撃たれるとか怖いなって思いました」
戦争の記憶をつないでいくには、当時を知る人が少なくなる中、残された「モノ」の重要性が高まります。そのため「戦争遺跡」や「資料館」の存在は欠かせません。今回、見学会の参加を決めたのは担任の徳渕(とくぶち)教諭です。
菊之池小学校 徳渕香織教諭「私たちも思いがあっても、学ばせるものがなければ、見るものがなければ、知っていることがなければ、子どもたちに何も伝えられないので、体で感じる場を作るためには必要かなと思います」
しかし、戦争遺跡の「保存」や資料館の「運営」を続けることは簡単ではありません
勝又俊一さん「水漏れする、白アリが出るとか、もう何10年も前の建物ですので」

この資料館は菊池市から無償で場所を借りた民間の団体が運営しています。自治体との連携は十分とはいえず、運営資金の不足や伝える側の高齢化という課題が圧し掛かります。
勝又俊一さん「手弁当でボランティアでやってるものですから、なかなか経済面も難しいなと。今度はもう私たちが年を取っていきますので、次の世代にはどう伝えるのかと」