飛行機で死にに行く搭乗員は「にこにこしとる」
(多田野弘さん)
「彼らの顔を見ました。搭乗員の顔。飛行機で死にに行くんですよ。だから、ものすごく厳粛な顔をして、顔が固くなっているんじゃないかと思って見たところ、なんと、にこにこしとるんですよ。にこやかに、晴れやかな顔をしているんです」
「どの搭乗員も皆そう。あぁ、これはもう人間業ではないな、と思った」

特攻で亡くなったのは、海軍と陸軍を合わせて約6300人。ほとんどが20歳前後の若者でした。
(多田野弘さん)
「私と同じ年頃の搭乗員です。顔も見たことがある搭乗員ばかりでした。それが、爆弾と共に突っ込んでいく。死にに行くんですわ」
フィリピンで100人を超える特攻隊員を見送ったのち、多田野さんは宮崎県の基地で終戦を迎えました。戦後は整備兵としての経験をいかし故郷の高松でクレーンの製造会社を立ち上げ、国の復興を支えました。
(多田野弘さん)
「生命の危険が全然なくなった。それが一番うれしかった。命が保障される」「戦争は二度と起こしてはならない」
戦争を知らない世代に向け多田野さんが今伝えるのは、一人一人の「命の重み」です。

(多田野弘さん)
「もし日本が外国から攻められたときに、あなたは戦うことができるかと。(そう考えると)戦争というのは、起こりようがないと思います」