洋さんは、この日、瑤子さんの日記を持って、宮島の対岸にある浩史さんの墓を訪れました。
「今度6月9日に、資料館に寄贈しますんでね、どうかどうかお許しくださいよ」

そして、6月30日に行われた日記の寄贈前、最後の家族伝承者講話。洋さんは、初めて、寄贈する日記や遺品を会場に持ち込みました。

「浩史ちゃん、いつ帰るのと聞きました。浩史ちゃんはあさって帰ると言ったので、私はたいそう喜びました。この一日は浩史ちゃんがきたので一番うれしかったです」

講話の中で洋さんは、瑤子さんが綴った楽しい日々の日記を読み上げました。
会場には、報道でこの日の洋さんの講話を知った、瑤子さんの友人の姿もありました。

瑤子さんの友人・吉田久美子さん
「きょうはね、浩史兄ちゃんが、くるんよ、くるんよってもうルンルンで喜んでね。ほんと懐かしいけどね。(原爆は)むごいですね。本当にひどいことじゃね」

細川洋さん
「私の手元にある最後の機会なので、まあさようならという気持ちも載せながらお話ししましたので、そういう意味では持ってきてよかったなと思います」

6月9日午後、洋さんは原爆資料館に瑤子さんの日記を寄贈しました。この日、寄贈した遺品は、愛用していた万年筆や学校の教科書など計40点に上ります。

瑤子さんの遺品を受け取った、原爆資料館の石田芳文館長は、「人類共通の財産になるもの。今後大切に保存させていただき、原爆の非人道性を1人でも多くの人に感じていただけるようにしたい」と語りました。

洋さんにとって一つ、大きな仕事が終わりました。

細川洋さん
「晴れやか。ある意味ね、やっぱり重たかったのか。(父たちは)まあ喜んでいると思いますよ。」

80年間、家族で守られてきた少女の日記。あの日の悲劇と残された家族の思いを伝え続けます。

原爆資料館によりますと、被爆当時の状況や、持ち主・家族のエピソードがわかる遺品の寄贈は今、かなり少なくなっているということです。原爆資料館では今後、瑤子さんの日記をはじめとした遺品を企画展などを活用する予定です。