天皇皇后両陛下が広島訪問時に見学された原爆資料館。この場所には被爆80年となる今もなお、原爆で犠牲となった人たちの遺品が持ち込まれます。6月9日にも、原爆で犠牲となった女学生の日記などの遺品が、原爆資料館に寄贈されました。この日記は、ある男性が生前、ずっと大切に守り続けてきた物。この日記にこめられた家族の思いを取材しました。
広島市中区に住む細川洋さんです。
取り出したのは、クリアケースに入った1冊の日記。
「まずこれがメインの日記になりますね。最愛の妹の手書きの日記」

表紙には、赤い格子模様の千代紙が貼られ、丁寧な文字で、「森脇瑤子」と書かれています。この日記は、2023年に95歳で亡くなった、洋さんの父の細川浩史さんが、ずっと大切に保管してきたものでした。
細川浩史さんは、17歳の時に広島逓信局で被爆。自身は奇跡的に生き残りましたが、最愛の妹を原爆で失いました。この妹が森脇瑤子さん。浩史さんの4つ離れた妹です。血のつながったきょうだいですが、家庭の事情で長年別々に暮らしていました。
瑤子さんの日記の最初のページは、県立広島第一高等女学校=第一県女に入学したところから始まります。

「4月6日入学式が挙行された。かねて永年憧れていた第一県女の生徒になったのだ。一生懸命に頑張ろうと思う」(森脇瑤子さんの日記より抜粋)
また、この日記には、度々、浩史さんの名前も登場しています。
「浩史ちゃんが今度、逓信局の用事で九州に行くので、そのいろいろなお支度をしました」
「浩史ちゃんが汽車でいよいよ九州へ旅立った。危険であるからどうぞけががないように」
一日も欠かすことなく記された日記には、少女の日常がぎっしりとつづられていました。
一方、浩史さんにとって、瑤子さんは特別な存在でした。細川洋さんは、父・浩史さんの瑤子さんに対する思いを次のように想像します。
「実の妹なんだけども、妹以上に。ある種、恋人のような、初恋の人のような、憧れとか愛しさとか、可愛さとか、そういったことも含めた、何か複雑な感情があったんじゃないかなと」