まさに「不滅」 “プロ野球の象徴”であり続けた人生 青森にも縁

長嶋さんの野球の指導の様子
「上からガーンとやるんだ!上からガーン」

名球会のメンバーと実施した、青森県大鰐町での野球教室でも、その人気は健在。独特の言い回しにも、野球への深い眼差しがありました。

長嶋茂雄さん(1988年取材)
「我々は決してバッティングを教えたら目の覚めるようなホームラン、クリーンヒットそういう期待はしていない。言っていることをどうやってそれを懸命にやろうとする姿勢、それがでるかどうかそこなんです」

青森県には、立教大学時代に練習試合で訪れ、その後も札幌遠征のさいに立ち寄っていました。

36年前には青森テレビの独占取材に応じ、冬になると雪に閉ざされる厳しい環境で選手を育てる術を語っていました。

長嶋茂雄さん(1989年取材)
「冬の時期になれば、スキーもやったり、スケートとかいろんな種目あると思うんですよ。その種目をどんどんね、やらせたら良いと思うんですよね。メジャーリーグの選手いるでしょ?ほとんど3種目~4種目やってますよ。そういうプログラムを組みながら育ってきてますから、だから日本人が勝てないだけの筋力ができるわけですね」

長嶋さんは、現代にも通じる先進的な理論と、天才的な感覚でプロ野球の象徴であり続けました。