太平洋戦争末期に旧海軍の航空基地があった鹿児島県の指宿市で、27日、特攻隊らの慰霊追悼式が行われました。
錦江湾に浮かぶ無人島・知林ケ島が見える海沿いに建てられた指宿海軍航空基地哀惜の碑です。27日、55回目となる追悼式が開かれ、遺族や関係者ら85人が参列しました。

かつて、ここには旧海軍の航空基地で、本土最南端の水上偵察機の基地もありました。戦況の悪化を受け、水上偵察機までも特攻機として使用され、出撃した若者82人やアメリカ軍の爆撃で基地にいた隊員ら100人余りが犠牲となりました。
(兄が特攻隊で出撃し戦死 松永孝子さん)「(遺書は)どなたのも『お母さん』と書いていてかわいそう。こういうことがないようにしてもらいたい」
(父が爆撃で戦死 永田義顕さん)「平和でのどかに暮らせるようにしたい。戦後、本当に母が苦労して私を育ててくれたからそう思う」
参列した人は犠牲者を偲び、平和への思いを新たにしていました。