不時着機に乗っていたのは渡辺利廣少尉 8日後に別の機体で特攻に出撃し戦死

塗装は行わず引き揚げ当時に近い状態で修復された機体。

残されていた水筒や箸箱などから乗っていたのは渡辺利廣少尉であることが確認されました。

渡辺少尉は、特攻命令を受け旧満州から鹿児島県の知覧に向かう途中、エンジントラブルで博多湾に不時着。

漁船に助けられ一命を取り留めたものの、その8日後に知覧から別の機体で特攻に出撃し戦死しました。

渡辺少尉が母親宛てに残した日記には出撃前の悲痛な覚悟が記されています。

渡辺少尉が残した日記
「私は残念です 海中に沈めた一機をもって一艦沈めることができるのに」
「一機一艦では足りません 一機二艦 否一機で十艦も轟沈(ごうちん)する覚悟です」

「私の心はいま日本晴れです お母さん おばあさん お父さん おぢいさん 皆様さよなら」

大刀洗平和記念館は、6月までの企画展でこの日記も展示しています。

大刀洗平和記念館・岩下定徳 事務長
「渡辺さんの日記の中でどういう心情で特攻に行かれたのかというのを一番紹介をさせていただきたいなと思います」