東日本実業団陸上の男子100m(24日、埼玉・熊谷市)で、ケンブリッジ飛鳥(31、東日本連盟/東京陸協)が2年ぶりに100mに出場した。

16年リオデジャネイロオリンピック™の男子4×100mリレー決勝で銀メダルを獲得し、日本中を沸かせた“リレー侍”のアンカーを務めたケンブリッジ飛鳥。2020年8月に10秒03の自己ベストをマークしたが、22年は交通事故に巻き込まれ、頸椎を捻挫。右側の背中から足にかけて痛みがあり、力が入らない、走れないなどという状況が続いていたという。

病院などでも、これといった原因がわからず「何度も引退を考えたけどグラウンドに行くのは辞めなかった。行かなくなったら終わってしまう感じがして」と、走り続けてきた。

この日ケンブリッジは、23年5月以来となる100m予選に出場し、10秒67と久々のレースを走り切った。レース後、“おかえり”と報道陣から声をかけられると「ただいまです!本当に、これまでしんどかったので走れただけでも良かったです」と話し、苦しかった4年間を振り返った。

ケンブリッジの支えとなったのは、リオ五輪のリレー侍の存在だった。当時1走を務めた山縣亮太(32、セイコー)も今大会がケガからの復帰戦で予選、決勝ともに10秒35のシーズンベストをマーク。山縣はレース後、「ウォーミングアップ場でケンブリッジ飛鳥が走っているって!嬉しく思いました」と話し、ケンブリッジも「山縣さんがいて、思わずハグしちゃいました」と競技場で盟友との再会を喜んだ。

「まだまだこんな形で終わりたくない、みんなまだ競技を続けているので」というケンブリッジにとって、山縣をはじめ、桐生祥秀(29、日本生命)、飯塚翔太(33、ミズノ)ら“リレー侍”の存在は大きい。なかでも「飯塚選手の存在が大きいかな。日本代表に入っているし」と、パリ五輪も200mで代表入りし五輪4大会連続出場を果たしている最年長の飯塚の存在を挙げる。

今の原動力は「これまでケガで諦めた五輪」だ。「もう一度、あの舞台に立ちたい。どこまで出来るか分からないけど」。21年以来の日本選手権、そして世界の舞台への思いを胸に、ケンブリッジ飛鳥の止まっていた時間が動き出した。

次戦は6月の関西実業団陸上への参戦を予定している。