10月31日に開幕した「第7回 世界のウチナーンチュ(沖縄人)大会」。32年前の第1回大会から1度も欠かさず参加している皆勤賞の女性がいます。
たった1人で、アフリカ・ザンビアに渡った88歳の高良初子(たからはつこ)さんです。その波乱万丈の人生と大会にかける思いを聞きました。


30日に行われた、ウチナーンチュ大会・前夜祭パレードで、アフリカ・ザンビアから参加した那覇市出身の高良初子さん、88歳。
沖縄から1万キロ以上離れたアフリカ、ザンビア共和国に移り住んで45年。
ウチナーンチュ大会の度に里帰りし、1度も欠かさず参加しています。
実は、ウチナーンチュ大会にはこんな逸話もあります。

「海外にいっぱいいらっしゃるから、皆で集まれたら良いねって」と、西銘順治 元知事との会食の席で、各国にいるウチナーンチュが沖縄で会えたらと提案したという高良さん。その数年後、1990年にウチナーンチュ大会が始まったという話も。

高良さんをはじめ、海外で活躍するウチナーンチュの熱い思いが開催に繋がった一つのきっかけとされています。


那覇市小禄で生まれ育ち、戦死した父親の代わりに家計を助けようと、大学を中退し職に就いた高良さん。10年以上、社長秘書を務めた経歴をもちます。
さらに、英語を学ぶため34歳で青山学院大学に入学、その後、留学先のスコットランドで後に夫となるザンビア人との出会いが大きなきっかけとなりました。

高良初子さん
「一度、ザンビアの方にいらしてよ、って。じゃあ行ってきましょう。行ったのがきっかけです」

ザンビアを初めて訪れた高良さん、最初の印象は、意外なものでした。

高良初子さん
「沖縄の戦後みたいな感じがして。生活は昔の沖縄と似てましたね、最初行った時、人は優しいし怖いとか違和感はなかったですね。」

2週間の滞在で沖縄に戻る予定でしたが、ザンビアの盲学校を訪れたことで心を動かされます。

高良初子さん
「もう本当にかわいそうで。設備も施設もちゃんとしてるわけでもない。戦後の私たちはああいう生活をしてきたので、少しくらい役に立つかなと思って」


医療や教育など、何もかもが不足していると痛感した高良さん。それから、ザンビアで数々の団体を立ち上げに奔走しました。
医者を目指す学生への支援、盲学校の子どもたちの教育、シングルマザーや若い女性たちには日本からミシンや裁縫箱を取り寄せ洋裁や家計簿作りなど、自立支援に努めました。

ザンビアでの高良さんの愛称を伺うと…。