「何を見たかは言えない」生前の言葉

東明徳さん
「ここをですね、カッと握られてるらしいんですよ。負傷者の方から。あとあと傷で残って、ここ時季で出てくる時があった時に、やっとこれを握られたっていうか、そういう表現でですね。話は聞いたことがありましたけど」
それ以上のことは語らなかったという潤さん。

一緒に被爆地に向かった画家の山田栄二さんも生前、原爆調査について、多くは語らなかったといいます。
福岡市に住む、山田さんの姪の上田聖子さんに話を聞きました。

上田聖子さん
「絵はそこのところだけを取り出してそんなにひどい現状をそのまま描かなくてもいいからなんとなく描いてるけれども、あれを目の当たりにしたら言えないし、何を見たかは言えないし、写真とかも人に見せられない、とよく言ってましたね」
山田さんは、1985年に甲状腺癌のため、73歳で亡くなりました。
生前、よく話していた言葉が上田さんの記憶に残ります。

上田聖子さん
「若い人は綺麗なもの、夢のあるもの、世の中に役に立つもの、世の中がこうやってほしいというものを若い時にたくさん見るべきであって、あんなものを見せちゃいけないってよく言ってましたね」
”天使のように舞っていく”看護師「絵を見て涙がこぼれた」
そんな山田さんの思いが込められた作品が、福岡市中央区の日赤病院に寄贈されています。

第2次世界大戦で殉職した日赤の看護師29人を慰霊する壁画です。
上田聖子さん
「看護師さんが天使のように舞っていくような構図の絵なんですよ。なんかそれを見た時におじの思いっていうか、どんな世界のひどいことがあっても美しいものを求めていかなきゃいけない。こんな目に誰も会ってはいけないというメッセージなんじゃないかなと思って、その絵を初めてその日赤で見たときは、本当涙がこぼれました」