長崎に原爆が落とされた1945年8月9日、いち早く福岡から長崎に向かった1人の詩人がいます。
最近になって当時の原稿が見つかり、日本で最初の報道記録として注目を集めています。
西部軍報道部で戦争を記録した詩人の父
春の彼岸に墓参りに訪れた福岡市在住の東昭徳さん(83)。
墓に眠るのは、父親の潤さんです。

東昭徳さん
「若い時からなんですけど、文学の方の活動に入ってまして、本人は詩人ですね」

フランス文学を専攻する詩人だった東潤さんは、西日本を代表する文学同人の会「九州文学」の一員として、火野葦平らとともに、執筆活動に励んでいました。
しかし、太平洋戦争が激しさを増す中福岡市にあった西部軍報道部に文筆家として徴用され、戦争を記録する役割を担うようになります。
「原爆を報道・記録する」日本で最初の任務
そして、1945年8月9日。
東昭徳さん
「原爆投下直後の視察をカメラマンと画家の方と、うちの父が文筆で3人が現地に長崎にいって、調査してそれが最後の終戦間近の仕事と思います」

長崎に原爆が投下されたわずか2時間後に画家の山田栄二、写真家の山端庸介、そして、詩人の東潤は原爆を報道・記録するという日本で最初の任務を命じられました。

しかし、終戦後GHQの検閲で原爆に関する報道が厳しく規制される中、その記録が公けとなったのはGHQの統治が終わった7年後で内容もごく一部に限られたものでした。
しかし、記録の原本が6年前東さんの自宅で見つかったのです。