終戦から7年後の手記

今年3月、東さんの自宅から新たな資料が見つかりました。
父・潤さんが終戦から7年後に書いた手記です。

「しかし、対外の隠忍(いんにん)は実を結び、ようやく講和会議にまではこぎつけた。けれども世界は二つに割れて冷たい対立ははてなく続き、吾らは一応、その片側に附いたにすぎぬ。平和を念ずる長崎の鐘は今年で7たび鳴りひびく…」
今年3月、東さんの自宅から新たな資料が見つかりました。
父・潤さんが終戦から7年後に書いた手記です。
「しかし、対外の隠忍(いんにん)は実を結び、ようやく講和会議にまではこぎつけた。けれども世界は二つに割れて冷たい対立ははてなく続き、吾らは一応、その片側に附いたにすぎぬ。平和を念ずる長崎の鐘は今年で7たび鳴りひびく…」