◇《卒業生の在日コリアン3世が、教員として学校に戻った決意》

 ある教室からは、サックスの演奏音が聞こえてきます。生徒と一緒に演奏していたのは、北海道朝鮮初中高級学校の卒業生でもある、金妙香(キム・ミョヒャン)教頭、27歳です。在日3世であり、教員として戻ってきたのには、ある想いがあります。

北海道朝鮮初中高級学校 金妙香教頭(27)
「朝鮮学校が廃校になった地域は、地域同胞社会も廃れていく。同胞社会の中心に、必ず朝鮮学校がある。朝鮮学校を前線で守る、発展させていく教員になりたいと思った」

   今年2月、札幌市民ギャラリーを会場に“在日朝鮮学生美術展”が開催されました。

児童
「これすごい!本当に描いたのかな~?」

全国にある朝鮮学校の子どもたちによる、作品の展示会です。美術の授業で作った、自慢の作品が並びます。

札幌市民ギャラリー(今年2月)

児童「これも僕が描いたやつ」

(Q.これは何を描いたの?)
児童「学校」

(Q.何を作りましたか?)
児童「ビビンバ」

(Q.海苔は何でできているの?)
児童「テープとマジックペン」

“焼肉を食べきたジンベイザメ”を描いたという作品も…。子どもたちの自由なひらめきが、尊重されています。

北海道朝鮮初中高級学校 朴蓮淑教諭(美術担当)
「次はこれ、あれと…アイデアが出てくるので、ある程度テーマを与えてあげた後は、好きなように自由に制作させてみるスタイルですね」

 太平洋戦争が終わるまでの35年間、日本は朝鮮半島を植民地支配し、民族としての誇りや文化を奪いました。多くの朝鮮人が職を求め、あるいは、強制連行により日本に渡りました。

戦後、帰国する人たちもいましたが、生活上の理由などから、日本に住み続けることを選ぶ人たちもいました。日本に居ても朝鮮の文化を学ぶことができる場所を作ろうとする動きが全国で高まり、1961年、北海道朝鮮初中級学校が創立しました。

しかし、1994年には東京で、朝鮮学校に通う女子生徒の制服が切られる事件が起きるなど、朝鮮学校は、時として暴力や差別の対象になってきました。街頭やSNSでは、いまも在日コリアンに対する攻撃が絶えません。