世界的な名コーチの指導が理解できるようになった経緯は?
22年にスミス氏の指導を受け始めてからは「特殊な理論。(成果が現れるまで)3年はかかる」と、米国の選手や関係者から言われていたという。スミス氏は97年アテネ世界陸上、99年セビリア世界陸上、00年シドニー五輪、01年エドモントン世界陸上と、男子100mの金メダルを取り続けたモーリス・グリーン(米国)らを育てた名指導者だ。
小池自身は「言葉の問題もあった」と、今は理由がわかってきた。「言語的なニュアンスの難しさがありました。なんでこの単語を使うんだろうとか、めちゃくちゃ考えることがありましたが、結局勘違いだった、ということを繰り返してきました。それが英語をそこそこ喋れるようになって、言われたことに対して質問を的確に返せるようになったことが大きいと思います」。
織田記念後に電話でスミス氏と話したときにも、「なるほどね、とすごく腑に落ちたところ」があった。「腕を強く振れ、とか、ちょっとしたことなんですが、あの練習のときのあのアドバイスと一緒だ」とつながり、理解度が深まった。
「体で理解するフェーズが終わったのが去年の秋か冬くらい。そこからようやく頭を使い始めました。自分の体ならこうかな、と」
スミス氏が指導してきた選手の動画を100本以上、何時間も見返した。「みんな違う走りなのに、なんで同じレースパターンなんだろう、とずっと考えて、それをコーチに質問することを繰り返しました。ようやく理解できたのが3月くらいです」。
記録が停滞した間も、スミス氏の指導を受け続ける判断ができたのはなぜか。「3年間の契約をしたんです。理解できなくても、違うと思っても、自分ができなくても、この人は絶対に自分より知識のある人だから、信じようと決めていました。だから去年まで、結果が出なくてもやめませんでした」。
昨年も追い風参考ながら10秒0台で走ったが、「今回はコーチが言う通りに走って、だいたいその通りのタイムが出ました。意味合いは全く違います。ステップアップしてきた結果だな、と実感できます」と言う。
コーチの思い描いた走りを、小池も思い描けるようになった。「自己ベストくらい出るんじゃないかな」。さりげなく話す小池にとって、自己記録が止まっていた5年間ではなく、飛躍するための5年間だった。そう言える日が近いかもしれない。