
昭和54年、33歳の時に鹿児島市で酒店を始め、3人の子どもも生まれました。体に異変を感じ始めたのはこのころでした。
(水俣病患者 上田正幸さん・78)「何でビールが落ちるのか、焼酎が落ちるのか。握ったつもりがぽとんと落ちて割れる。全然わからなかった。水俣病だととても思っていなかった」
上田さんは息子に店を譲り68歳の時、故郷の長島町に戻りました。手のしびれやこむら返りなど同じ症状に悩む友人らの勧めで検診を受けたところ、水俣病と診断されました。

(水俣病患者 上田正幸さん・78)「自分もかかったのかという悔しさ、憤りを感じた。公害におかされた体を元に返して欲しい、もう無理でしょうけど」
公式確認から53年経った平成21年、症状がありながらも認定されていない人を救済する特別措置法が成立します。

しかし…