シリーズ「昭和からのメッセージ」今回は「水俣病」をテーマにお伝えします。
水俣病は熊本県・水俣市のチッソの工場の排水が原因の公害で昭和31年5月に公式確認されました。これまでに認定された人は熊本と鹿児島で2284人で、現在も1271人が県や国に患者認定を申請し、審査を待っています。
長島町の男性は「高度経済成長の陰で我々は捨てられた」と語ります。

(水俣病患者 上田正幸さん・78)「今もじんじんしびれている。感覚がなくなる。あの人たちは健常に動くのにどうして私だけなのかと思う、見た目は全然変わらない」
長島町の上田正幸さん(78)です。40年近く手のしびれなどの症状に悩まされています。

(水俣病患者 上田正幸さん・78)「私たちが(子どもの頃)は(ブリなど)養殖も盛んではなかった。サツマイモとイワシを食べて生活。貧乏暮らし」「靴を履いて学校に行けなかった」
上田さんは4人兄弟の末っ子として生まれ、高校卒業後、就職を機に島を離れました。鹿児島市のタイヤ販売店で働き、城山団地の造成工事にも参加。高度経済成長の波を肌で感じたといいます。

(水俣病患者 上田正幸さん・78)「何をしても面白かった。給料は上がる、すごかった。楽しい時代」